本を読むとはどういうことだろう

「本を読む」の感覚は全員違うと思う.何をもって「本を読んだ」ことになるのだろうか.結局千差万別であると.

本を読む目的

そもそも,何を目的として本を読むのだろうか.娯楽として?教養として?自分を変えたいから?

いずれにせよ,この目的が「本を読んだ」となる過程を決めている気がする.

私の場合は?

正直,小説はあまり読まない.一回赤川次郎の小説を試しに一冊読んでみたが,確かに面白い.が,次も読みたいという面白さではなかった.青山美智子さんの本も二冊買ったがそうだった.自分には合わなかった.(と思ってる)

あんまり,フィクションは合わないのかもしれない.でも,ジョージオーウェル1984年は読んだし,アンソニーヴァージェスの機械仕掛けのオレンジも読んで面白かった.フィクションの代名詞であるアニメとか漫画は好きなんだけどなぁ.小説自体を面白いと思える素養というか才能がないのかもしれない.

いや,そういうわけではないと信じたい.ならば何が小説を「面白く」なくしているのだろうか.ここで一つ考ええるのが,私はその小説を「読んだ」という状態が欲しいのかもしれない.

こうなるとよくない.

「本を読んだ」=「通読した」=「文字を追った」という状態が欲しいのではダメではないかと最近思っている.

思想書だったりビジネス書だったりサイエンス系だったり新書だったりは面白く読めるのに.この差異が目的に現れているのではないか.

本を読むとは没入して何かを得ること

では,何を目的として本を読んであげればいいのか.それは本に没入して何かを得るようとすることだと結論付ける.

私にとって小説がめちゃくちゃ面白いと思えない要因がそこにあると思う.ビジネス書だったり新書だったりは知識を得ようとする目的で読んでいる.自分が知らないことや自分が考えれなかったことを見つけたり発見すると面白い! となる.小説も同じようにしてあげればいいのだ.あらすじなんかWikipediaで見てしまえ.その小説内で主人公の感情が,考えが,状況が,私とどう違うかを見つけてあげようとすればもっと面白くなる気がする.

思ったこと感じたことその感情の表現がされているのが小説だと思う.あらすじを追って文字を追った状態を欲するという目的で読んだらそりゃぁつまらないよね.自分にないものを発見する喜びが「本を読む」ことなのかなと思ったのだ.