外山滋比古著の「思考の整理学」にこんな言葉があった。
「いい考えが得られたら、めったなことでは口にしてはいけない。ひとりであたためて、寝させておいて、純化を待つのが賢明である。」
正直、納得いかない。
続いて書いてあることに理由が書いてあるのだが、要約すると、喋ることはすでに立派な表現活動であり、喋るとその快感で満足してまう、だそうな。
確かに喋ることは表現活動であるが、単純な快感のみで終わることは決してないように感じる。
喋ることはアウトプットの一つであり、一番頭に負荷がかかると思っている。喋ることで、自分の思考が整理され客観視できるようになるんじゃないか。言霊とも言うが、喋る内容が自身の考えや目標だったらなおさら実現するためにも口に出すべきではないか。
勿論、外山滋比古自身も喋ることの有用性は語っている部分もあり、上記の引用文の様に寝かせる有用性があることを知っているのであろう。
でも、自分は寝かせる有用性(主に喋らないことによる寝かせ方について)が今のところは理解があまりできない。
寝かせる必要がある事柄と寝かさずにアウトプットして磨いていく事柄、その見分け方及び、使い分けがわからない。