謙虚と卑屈の境界線

自分は卑屈な人間だとこの頃感じる。

自分はそのつもりがなくても、その都度自分を下げて、結果的に周りを馬鹿にしているように見られていると思う。家に帰った後、一人反省会をして悶絶している。絶対嫌な奴って思われている。根底にあるのは自分に自信がないのだろう。「自分は頑張ってない。まだ頑張れる。全然〇〇には及ばない」と、ずっと自分を見下してる。良く言えば理想が高いのだろうが、そのように自分を見下しているとその思考回路は会話の節々に漏れていく。しばしば、私はこう思う、「〇〇"しか"出来てない」と。この考え自体、自分を卑下しており自分の理想から離れていてまだまだだと思っている一方、その○○すら出来ない人(出来なかった人)を見下している(言い換えれば遠回しに馬鹿にしている)。このように取られても仕方がない発言が最近多い。

もうわからない。自分を自分が認められないのだろう。それでいて他者には認められたい。ずるい人間だ。ほんとに。人が離れるのも時間の問題だ。

自分は認められないのに他者には認められたいという矛盾を抱えたまま人と接すると卑屈になるのだろう。卑屈になる私の心理的状況としてこれがもっとも適切な表現だ。

切実にこう願う。こんな人間はやめてしまいたい。相手も自分もだれも得しない。出来上がるのは、めんどくさく扱いにくい変な奴とそれと距離を置きたがる人間だけだ。どちらも楽しくない。

そして、その解決策として、単純に自信を持ったほうが良いというわけでもないと考えている。自信の土台には驕りは少なからずある。それを良しとできる人間性は持ち合わせていない。そこで、謙虚の二文字がでてくるが、謙虚と卑屈がどう違うのかと問われると難しい問題である。似ているようで、その態度の受け取り側の印象は大きく異なるように思われる。私の中ではこの二単語は印象が180度異なり、謙虚はどことなくポジティブなイメージがあり、卑屈はマイナスなイメージが付きまとう。

私の問題点は自身の評価を他人との相対評価で行っている点であると考える。(不特定多数の)他人と比べるから卑屈になるのではないか?と思う。他人と比べるから、自分を下げて他人を見下すような態度をとっているように見られてしまうのかもしれない。

こんな性質を持っている自分はどうすればいいんだろう。