【本を読んで】「友だち幻想」 菅野仁

本書は確か大学生に成りたての夏に買った本だった気がする.大学の生協で何気なく取った本だ.副題の「人と人の<つながり>を考える」とある通り,人間関係に対しての考え方が書かれていたと思う.一回読んで本棚に並んでいた本書を再び手に取って読んでみたくなった.新しい環境になった時,人間関係について考えない人はいない.大学四年生になり研究室に入って半年経って*1しまったが,ほぼほぼ本書の内容を忘れた状態でもう一度再読することで人間関係および,新しい環境での生き方のヒントが得られるかもしれないと僅かな期待が頭をよぎったため,読んでみようと思ったのだ.

自分の本棚に並んでいたこの本は土に汚れている.うっすらと熱い午後の虫がうっとおしい覚えがある公園で読んでて,落としたのだ.そんなこともこの本を見て思い出した.正直,内容は覚えていないが中学生とか小学生の時に読みたかったと思った記憶がある.分量もそれほど多くはなく一文一文の隙間も大きいので誰でも読みやすいはずである.

というわけで読み終わりました.

読み終わっての初めての感想は「再読して良かった」である.以前にも書いた気がする*2が,以前この本を読んだときは文字を追ってただけだったかもしれない.文字を追うのは「木を見て森を見ず」状態なのかもしれないと思った.全体の論理構造を把握することも重要であることはこの"再読"を通じて実感があった.ひとまず,本書の論理構造の土台部分は大きく言うと以下のようになるだろう.

  1. 人同士が関わる意義は何かについて
  2. 他者の性質について
  3. 現代と昔の共同性の差異で生じる他者との関わり方への不和
  4. 同質性から同調圧力のない共存性を重視した関係

ここまでの議論(おおよそ本の半分,第三章まで)が特に本書で特筆して押さえなければならないものだと思っている.

まず本書の著書である菅野さんは「自分と他人,一緒に幸せになりたい」というのが生きる核となっているとし,その幸せの議論から話を展開している.ここの部分はとても興味深く,自己充実(自己実現)と他者との交流が幸せのモメント(契機)となるらしい*3.そして,他者の性質として驚異の源泉として他者と生の味わいの源泉としての他者という全く正反対の二重性について述べている.本書での議論の出発点はここである.ここで重要なのは他者との関わりは幸せに直結するが,他者との関わりは自分をも傷つけるということである.だからこそ人間関係で人は苦しむのか,と納得した.ここに気づいたとき,人間関係という大きな問題に対してクリアな視点を得られたような気がした.

本書では昔のムラ的な共同体の親密さと,今叫ばれつづけている多様性の不和から現在の友達関係の問題が出てきていると言っている*4.既レスやらいじめやら..みんな一緒であるという同質性による親密さが生まれる一方,出る杭は打たれるというように突出した人がいじめられる,一緒になるように強いるなどの問題が生じる.

ここに関して本書は菅野先生が自身の教員生活での具体例を存分に書いて説明している.自分はあるあると思うものやそんなことある??みたいなものもあった.大学教授という立場からか教育的な視点からの進言もある.なかなかに面白かった.

本書を一言で言ってしまえば同じであることによる親密さはダメとは言わないが,そのほかにも共存するような付き合い方も身に着ける必要性があると述べている.

大事だ.この能力.

ニーチェはこんな言葉を残しているらしい「愛せない場合は通り過ぎよ」親しむことと敵対するという二択ではなく,一定の距離感を保つということが大事なのだ.自分以外は他者であり,すべてをわかってくれる「理解のある彼,彼女」なんていうものはいないのだ.そこを前提に友人関係は作りましょう.

そして,面白いことにアドラー心理学につながることもありそうだと思った.岸見先生の著書の嫌われる勇気では他者のために生きることをせず,課題の分離により相手の課題にむやみに踏み込まないようにするとよいと述べている.これはある意味,菅野先生が言う同質性を切り捨て,他者は他者であり自分ではないということを念頭に置いて他人と共存するための知恵(思考法)の一つなのかと思った.

どうすれば人間関係の距離感を保つかというヒントも「友だち幻想」には書かれているので是非読んでみて欲しい.

*1:時間って早いな

*2:

kumohara-tagebuch.hatenablog.com

*3:モメント(契機)はヘーゲル哲学かららしいが...ヘーゲルはよく知らないです

*4:少し意訳しすぎであるかもしれない.本書を読んでね...