100分de名著 パスカル著 パンセ

人に読ませるように書かないように。 タダのアウトプットとメモように。これは読みながら書いているので悪しからず。

要約書(解説本)の要約+ちょくちょく感想とはこれ如何に。


確かに、パンセの著者であるパスカルは日本人にはかなり親しまれていると言えると思う。パスカルの三角形や、パスカルの原理、「考える葦である」とか、一般常識として知られていることは驚くべきことだと思う。そういう意味で日本人の教養は比較的高いものなのかもしれない。

とはいえ、私は「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史も変わっていただろう」という一節は知らなかったが...

kotobank.jp

でも、何も知らない。まずはパンセの著者パスカルとは何者か。

ja.wikipedia.org

もちろん100分で名著ブックスでも書かれているが、今日はwikipediaという神が21世紀にはいるのでそれも並列して読んだ。

「哲学をばかにすることこそ、真に哲学することである」この一節がwikipediaを読んでて「ふーん。」ってなった。なんかかっこいい。前後の文脈を理解しなければこの一節の真の意味は理解できてないと思ってはいるが、ここの意味は「何事も疑ってかかれ」ということのような気もした。

こんな感じでwikipediaをいろいろ見てると、数学、物理、哲学と多くの分野で活躍していてすごい人だと実感した。

この本にかかれている「パスカルは研究オタク」のところは読んでて面白かった。家は裕福で、数学や物理の造詣が深い父が学校や家庭教師に頼らず全ての教育をしたのも驚きだ。「現代に置き換えたら、裕福な親のおかげで、生活の心配も進路の悩みもなく、研究一途のポス・ドク生活を送っている研究者」(p27)という本書の例えが妙にしっくりきた。

面白いのは数学をしていたのが、父親の怪我がきっかけでジャンセニスムに帰依することになったことで宗教と信仰についての研究をし始めたことだ。父親も敬虔なカトリック教徒だったこともあり、宗教に親しむ土壌があったんだろうなぁと思った(この時代のヨーロッパは全部そうかもしれないけど)。

また、「パンセ」は宗教的な側面での書かれ方をしているそうな。だからこそ、通読するのが難しいと本書には書かれている。

「パンセ」の正式タイトルは「死後、書類の中から発見された、宗教及びその他の若干の主題に関するパスカル氏のパンセ(思索)」であり、パスカルが 過去に思索した草稿を遺族や編者が編纂した随筆集である。なので、編者の思惑が構成に強く反映されている。また、キリスト教護教論という役割(というかパスカルがこれらを書いた動機はこれを作ること)もあり、キリストに親しみのない我々日本人にとって理解が難しい(らしい)。

www.gotquestions.org

しかし、この解説本の著者である鹿島茂曰く、万人に役立つ汎用性を持った書物と言っている。

これはワクワクしてきたな。

この本のいいところは現代人にもイメージしやすいように現代の具体的な例を使っているのが良い。

そんなわけで最初の例が就職活動で悩む大学生の例が出てくるのだが、私が数年後直面するシチュエーションじゃないか!! 確かに、多くの人は、大学までの進路は偏差値が選んでくれたと言っても過言ではない。自分もそうだ。行けそうなところを上から選ぶというね。でも就職活動には偏差値はない。ある意味年収という物差はそれに当たるかもしれないけど。就活の軸をきめるだけでも一苦労しそうだ(そろそろ考えなくてはならないと思ってはいるが..)

まず鹿島先生が初めに出して来た例は就職先の選ぶ苦悩についてであった。就職先を決めるのをもっと内発的な動悸があった方が良いのではないか...みたいな悩みはみんなどこかでしているとは思う。ここでパンセの断章を持って来ている。

一生のうちで一番大事なのは、どんな職業を選ぶかということ、これに尽きる。ところが、それは偶然によって左右される。習慣が、石工を、兵士を、屋根葺き職人を作るのだ。 断章九七

自由意志で選ばれるのではなく偶然と習慣で選択されるとパスカルは言ってるらしい。なるほど。確かにそうかもしれない。今の自分が理系になって学部、専攻を選んだのも生きている中での地続きでの選択だから完全自由意志はないのかもしれない。そんな感じで納得してしまった。

他にもパスカルは「人間はあらゆる職業に向いている*1」だったり、「願望を叶えても幸福にはならずに別の願望を持つだけ*2」(ちょっとだけ私が意訳してる)だったりと、このように、パスカルはみんなのあるあるネタをいっぱい出してるのだ(なんかそう感じた)。

一回読み終えて、確かにまんまとパスカルが得意なフィールドに私自ら乗ってしまったなという思いが湧いてくるw

ここではもう一つ紹介しておこう

人間というのは概して、自分の頭で見つけた理由の方が、他人の頭の中で発見された理由よりも、深く納得するものだ 断章一〇

これは気をつけたいの一言に尽きる。もちろん自分で考えて見つけるもそうだし、自分の意思に基づいてその情報を得て納得した時もそうだ。他人の意見よりも自分の意見の方が大事に思えるというバイアスがあるのだよとパスカルは教えてくれている。でも、これは思考出発点だとも思う。こういう傾向が人間はあるから私はどうしていくべきだろうかを考えていかねばならない気がする。パンセの中でも出て来ているが、真実を告げることは残酷である。他人にこうこうこういう傾向が人間はあるんだよって言っても「はあ」としか言われないだろうし、むしろ耳を傾けてくれなくなる可能性があるだろう。パンセは考えるヒント集にもなりえそうだ。

このように17世紀の人間が書いたものであるのにも関わらず、現代人にも通ずることが書かれているのが読み継がれている理由なんだろうなと思った。ではなぜ、パンセにはこのように現代人でも共感できるような事柄が書かれているのか、その詳細は100分de名著booksのパンセを買ってください*3

実はここまででパスカルが書いたパンセの真髄は書いていない。我々がよく知る「人間は考える葦である」や重要なキーワードである気晴らしなどはなんにも触れていない。少しでも面白いと思ったら、この本を買いページをめくってみても良いかもしれない。

まあ、私は原文訳は読んでないので何様だと言われてもしょうがないですが。

これを読んだ後、「暇と退屈の倫理学」という本を再読したくなった。この本はそれこそ、パスカルの気晴らしの視点を軸に議論が展開されているのだなと再認識できた。正直、文を追うのに必死で一回読んでも論理展開についていけないことが多い書であった。パスカルのパンセを少しだけ齧った今、もう一回読んだらもう少し理解できるかもしれない。こうやって本は読んでいくものなのかもしれないとうっすら思った。

*1:断章一三八

*2:断章一〇九

*3:決して面倒臭いからではない