相手を褒めることで自分の自己肯定感を上げる
齋藤孝先生の『大人のための会話の全技術』を読んでいる。
会話(コミュニケーション)についての技術を具体的な例を用いながら説得力のある解説をされている。読んでいてなるほど。確かにその通り。と思ったテーマがあった。
「相手を褒めよ」と。
自分の経験で褒められるのはうれしい記憶がいくつもある。中高校生で折り紙をアホみたいに折ってた。綺麗にできたバラだったり、カブトムシだったりを親に見せて「すごい」と褒められるためにやっていた節がある。
褒められるというのは(特に小さい子は)十分な動機付けになると感じていた。
そう。感じていただけである。
まさに、本を読む醍醐味は自分も経験したことを人に伝えられる言葉での表現を教えてくれることであると、この本を読んでいてしみじみとした。私は読む前、「褒めること」は相手の成長につながるよね、という程度の枠組みでしか「褒めること」を認識していなかった。
ま、というわけで本題。
褒める効能
齋藤先生曰く、褒めることは人のためならず。自分にも良いことがある。
相手が何かに優れているところを見ると少しでも嫉妬心だったり妬みの気持ちが出てくる。そんな気持ちをなくしてくれるのが褒めること。褒めることによって「あの人はこういうすごいところがある」と尊敬の気持ちに(たとえそれが本心でなくても)変わるだろう。
相手も褒められると嬉しいし、その姿を見て自分もうれしくなるよなぁとも思う。(私だけ?)
また、好意の返報性みたいに、褒められたという好意は自分にも帰ってくるでしょう。褒められて嫌いになってしまう人はなかなかいないと思うので。好意には好意で帰ってくるのは身に染みている。
そんなわけで、褒めるといいことしかないなぁと思う次第。
褒めるという言葉の違和感
でも、褒めるという言葉に違和感がある。少なくとも私は。
褒めるという言葉事態が「目上の人が、立場が下の人に良く言う」というニュアンスがある気がするのだ。
1. 人のしたこと・行いをすぐれていると評価して、そのことを言う。たたえる。「勇気ある行動を―・める」「手放しで―・める」「あまり―・めた話ではない」⇔そしる/けなす。
2. 祝う。ことほぐ。
web 辞書だが、一応自分が思っていたようなニュアンスはなさそうだ。
でも、違和感がある。
そこでちょっと言い換えて、「長所、すごいと思ったこと」を言ってあげればいいのかなと思った。褒めるというと、そこにやましい感じもしなくもないが、この言いかえならしっくりくる。
(就職でも、自分の長所はヒトの長所を見つけることですとか言ったら印象めちゃくちゃ良くなる気がする)
蛇足はあったが褒めることは良いことしかないので、意識、実行したい。
褒める人がいなかったら、自分をほめよう!!えらいぞ自分、今日も自分の考えを言葉にできたじゃないか!!!!!
終わり。