【読書記録】ビニール傘 岸政彦

ビニール傘を読んだ。

著者は岸さんで社会学者である。芥川賞の候補作品になっていたことを後で知った。実はある本を読んでこの人を知ったのだがそれは後程*1

あんまり純文学作品*2自体あんまり読んで来なかったからか、「難解な文」というのが第一印象。語り手が予告なしにコロコロと変わっていっており、それを把握しようとメモしながら読んでいたが、繋げようとすると矛盾点が出てきて、このページの語り手とこのページの語り手は違うのかとなってよく分からなかった。登場人物がスペクトル状に分布しているという形式というのが一番形容としてはあっているかもしれない。

そんなこの話だが、Amazonのレビューで全く同じような感想を持つものがあった。

www.amazon.co.jp

本作もまた断片的な描写が多く、 その断片を断片のままモザイク模様として読んでいたら、 断片同士を繋げるのりしろみたいなものがちょくちょく出てきてしまう。

そうなると読者としてはそののりしろを使って断片を組み立てて、 全体像を見たくなってしまうのだが、なかなかうまく組み上がらない。 整合性のないペーパークラフトのパーツを前にして、途方に暮れてしまう感じ。

まさに今の私の状況を上手く言葉にしてくれている。

全体像を見ずに、一歩一歩を、その瞬間を味わうという楽しみ方が良いのかもしれない。物語として楽しむのではなく、描かれる世界観*3を語り手を"ずらして"語ることで魅せてくれるところを楽しむのかな?

ちなみにこんな記事を見つけた。

gendai.media

――作中に登場する「俺」と「私」は、同一人物のように見えて、少しずつその主体がズレていく。「ありえたかもしれない自分」がどんどん分岐していく構造ともいえます。

あれは「いろんな俺/私にジャンプしていく小説」だって言われることが多いんですけど、書いた本人からすると、全部ひとりの人間の話なんです。世界のほうが予告なしに変わっていくだけ。

なるほど?著者が言うことがよくわからなくなってくる。先ほど書いたように、語り手がスペクトル状に連続的に変化しているという認識で間違ってないかもしれない。

個人的に好きな場面

P45の語り手の気づきが面白い。安い回転ずしとパチンコの共通点を見出すシーンだ。機械的な対応を機械にされているという点で結構この小説は第三者の関わり合いの描写が少ない。少ないというと語弊がありそうだけど、そういった印象を受ける。まるで自分とそばにいる人だけが世界にいるような印象だ。灰色で無音な世界観。怠惰でどうしようもない灰色の日常がそこで語られていて、ちょっと好き。

Amazonのレビューで言及されてた「断片的なものの社会学」という同じ著者の本は気になった。読もうかな。

*1:記事書こうと思っているのでまだ秘密。

*2:この本を純文学といっていいのかは私にはわかりかねるがここではそういうことにする

*3:そこまで壮大なものではないが